日常生活は送れていても、「元気」とはいえない人や「人並み」の生活を送るには、苦労や工夫が必要な人がいる。
そんな人たちの存在を明らかにしたのが、『虚弱に生きる』という本だ。著者が想像していた以上に、多くの共感の声が寄せられたという。
説明しにくい不調を抱え、まわりから理解されずに苦しんでいる人は、意外と多いのかもしれない。
今回は、持病歴10年(SLE・全身性エリテマトーデス)の私が、『虚弱に生きる』を読んで、共感したことや改めて思ったことをシェアしたいと思います。
今回紹介する本『虚弱に生きる』
本書の著者、絶対に終電を逃さない女さん(以降、「終電さん」)は、「20代にして老人みたいな生活をしている」と自身が述べているように、若いころから虚弱体質とともに生きてきた。とにかく体力がなく、毎日、体調が悪い。
日々、10時間くらい睡眠をとり、食事、運動に気を使っているうえでだ。
健康を意識せざるを得ないということは、それだけ健康が当たり前ではないということなのだ。
終電さんの言葉に、共感する。私が今、こころとからだを整えることに興味があるのも、持病を発症したことや、子どもの頃からあまり体が丈夫な方じゃなかったことが影響している。
健康であることに熱心な人は、簡単に健康が手に入らなかった人たちかもしれない。
体力をつけるための体力がない問題
食べるのも寝るのも運動も体力がいる。食べて、寝て、運動して、これは健康だからできることなのだ。
健康が当たり前でない人にとっては、「食事・睡眠・運動」ができる状態は、当たり前ではない。健康のスタート地点に立つことにも、努力がいるのである。
私はSLEの特性上、疲れやすく、感染症にもかかりやすい。一度かかると長引きやすいから、日頃から体力の温存には気を配っている。
目に見えない不調は証明できない。だから苦しい
病院にいる人は病人だとわかる。
健康な人は社会にいる。
そのあいだにいる
「食事や家事など身の回りのことはできるが、社会に出られるコンディションではない人」
「社会活動はしているがたくさんできない状態にある人」
には、独特のつらさがある。私と、終電さんとの共通点でもある。
そのあいだにいる人は
・なまけている人と思われるのではないか
・自分はなまけものなのではないか
という思いに苦しむことが多い。
だるさや疲れを数値化できたらいいのに
と、何度も思った。だるさや疲れは目に見えないし、数値化できない。
本当は
不調こそ、主観でいいのではないか
と思うし、思うようにしている。痛みに強い人もいれば弱い人もいる。体力のありなしも病気のなりやすさも全ては個人差、個体差なのだ。
体が弱い人にだって、弱い部分と強い部分の強弱はある。もちろん、健康な人にもだ。私は、自己免疫疾患であるSLEを抱えていることに加え、気管支や胃腸や肌が弱い。しかし、髪は丈夫だ。
趣味趣向だって個人差があるのだから、体力に個人差があったって不思議はないはずだ。
病名や「虚弱」という言葉を得ることの安堵
終電さんは、不調の原因をなんらかの疾患ではないかと疑い、さまざまな検査をしたが、結果、病気の診断はくだらなかったそうだ。
しかし、あるときから自分の状態に「虚弱」という言葉を使うようになって楽になったという。体力がないことについてのあれやこれやを説明するのに「虚弱なんで」のひとことで済むからだ。
なんかこれ、わかるような気がするな、と思った。
私は、「SLE(全身性エリテマトーデス)」と病名の診断がついたとき、その前までの不調のあれやこれやに説明がつくことに、ちょっと、ほっとしたところがあったのだ。もちろん、病気であることは望んでいないが、「不調」に説明がつかないことも、思いのほかストレスであり、不便なのだ。
SLEの症状の中には、目に見えない不調もあり、しかもそれが多岐にわたる。目に見えない多様な不調を抱えているとき、それらを総称する言葉があると大変助かるのは確かだと思う。
体力がない人の働きかた
体力がないことは時間がないこと
終電さんが書いているように、体力がないということは、休む時間を多く必要とするので、動ける時間が少ないということになる。
少ない時間で最大限に働くには、と考えて私が出した働き方の結論は「在宅ワーク」である。
在宅ワークのよいところは、通勤にかける時間と体力がいらないことと、感染症にかかるリスクを減らせることだ。物理的な時短と、体調を崩すリスクを減らすことを同時に叶えることで、稼働時間の維持にもつながる。
もちろん、私も飲み会に行ったり、混雑した商業施設に出向くこともある。だけど、人混みの中に行く頻度の母数を減らすことで、相対的に感染症リスクを減らせると考えている。
また、体調に異変があったらすぐ横になれるのも在宅ワークのメリットだと思う。私は持病の特性上、感染症にかかりやすく、悪化しやすいうえに治りにくい。風邪ひとつとっても、悪化する前の段階で封じ込めることが大事だと思っている。
そして、可能な限り、仕事は納品ベースのものや納期がタイトじゃないものがいいと思う。
起きて体がだるいと思えば、もう一度、寝直したり、疲れを感じたら昼寝をしたりする。その代わり、土日や深夜に仕事をすることもある。そうやって、稼働時間の確保と体調のバランスをとってきた。
営業時間や急ぎの納期に縛られない仕事であればこそ、実現できることだと思う。
私は、持病を発症するまではずっとフルタイムで働いていた。夫のタイ駐在が決まり、帯同のために退職した直後、病気が発覚した。2か月の入院と1年間の療養生活を経て、タイへ渡った。タイで過ごした5年間は療養も兼ねていて、随分とゆっくり過ごすことができた。
その後、日本に帰国したのはコロナ禍のさなかだった。私は在宅ワークで社会復帰したのだが、今思えば、それは私にとって働きやすい環境が整った、よいタイミングだったと思う。
打ち合わせや現地取材などはたまにあるが、今でも、基本の稼働は在宅ワークだ。現在は、フルタイム相当で働けている。
日々の体力コントロール
現在は、体調が安定していて、病気のことを忘れている時間もあるくらいだが、体力のコントロールは、日々工夫している。ここでは、私なりの体力管理を紹介します。
休養は自分との予定
日々の体力維持には、休養をあらかじめ「予定」しておくことが大事だと思う。少し前の私なら、昔お世話になった人からの頼まれごとや、忙しい相手に合わせて休むはずだった日に動くこともあったが、考えを改めた。それをして体調を崩しても、誰かが代わりに稼働したり、責任をとってくれるわけでもないからだ。
そもそも「予定」は第3者との約束だとは限らない。自分との約束だって予定なのだ。
断るのが苦手な人は断るときに理由を明確にしなければならない、と思い込みすぎているのかもしれない。かつての私もそうだった。「ごめんなさい、その日は予定があって」これだけで充分なのだ。誰と何の予定があるのか?までを尋ねてくる人はそうそういない。
限られた体力をどこに使うかを考えるようになってから、人付き合いや娯楽よりも、休養を優先することも増えた。今は、その時間の使い方に満足している。
あとは、職場の愚痴飲み会に参加しなくなったことも大きい気がする。それもコロナ禍で、飲み会の風潮が変わったことも後押しになった。
疲れを予防する
体力がないので、疲れたら休むのでは遅いことが多い。疲れを感じたときには、すでに不調がはじまっており、回復に時間がかかる。ならば、疲れそのものを予防する必要があると思う。
終電さんと同様に私も睡眠時間は長めだ。普段から睡眠を8時間~10時間とっている。年間でみれば、冬季の方が長めに睡眠をとっている。
そして、外で人と会う予定や、美容室などの予定は、1日1つまで、かつ連続しないことがマイルールだ。
また、年に1、2回夫と旅行に行くが、旅の工程は予定を詰め込みすぎないようにしている。
元気なときでも、旅程の半分くらいは昼寝しているくらいのペースで、仮に体調を崩して寝込んでしまうことになっても、スケジュールがゆるやかなので寝ていられる。
できるだけ、早朝や深夜の便を避けて、睡眠の乱れが起きないようにもしている。夫の協力あってのことでもあるが、工夫次第で旅行と体力維持を両立できると思っている。
ときにはアドベンチャーを
なるべく体力の温存を意識している日々ではあるが、ひたすら省エネで暮らしても元気になるとも限らない。
これは、タイでドクターにも言われたことだ。人間の体が回復して強くなるには、負荷も必要なのだ。
もちろん、病気の急性期や本当に具合が悪いときには、ひたすら療養することが大事なのだけれども、それが過ぎた回復期・維持期には意識的に負荷をかけるくらいでよさそうだ。
私は体力的に、長丁場の集まりやイベントは苦手なのだけれども、興味があるものに「えいやっ!」と行ってみることもある。次の日、疲れて寝込むことになったとしてもだ。行ってよかったと思うとは限らないけど、チャレンジしたこと自体が自信になる気がします。
社会とのつながり
病気をしても、生きていられることはもちろんありがたいが、それだけで満足できるものでもない。ここでは、社会とのつながりについて思うことをお伝えします。
カミングアウト問題
病気のことを誰にどこまでカミングアウトするのか、迷うこともあった。病気を知られることで、仕事の機会を逃すこともあるかもしれないし、気を遣われるのも気がひける、という思いもあった。結論、自分の病気が相手に差し支えるかどうかで決めればいいと思っている。
決められた時間に決められた場所にいることが大事な仕事や、フルタイムで雇用される正社員であれば、事前に伝えて了承を得る必要があるかもしれない。
一方、業務委託で、月に〇時間、月に何本の成果物、など、指定の稼働時間がない場合は任務を満たしている以上、相手に差し支えがないので言わなくてもいいんじゃないかと思っている。
実際に、納期に遅れたことも、仕事に穴をあけたこともない。
親しい友人には病気のことを伝えているし、知人には話す機会があれば話すこともある。
私だって健康になりたい
終電さんは「スタート地点に立ちたい、健康になりたい」と書いていた。
その気持ちがわかる気がする。
私の病気は薬でコントロールすれば、差し迫った命の危機もないし、恵まれているのかもしれない。自力で食事をしてトイレに行ける、これだけでどれだけすごいことか、退院した直後はその幸せをかみしめていた。
でも、ずっとそれだけを喜んではいられない。私は社会に出たいのだ、健康な人と同じくらいに。
今、この10年くらいの間でもっとも体調が安定している。
仕事は半日くらいの稼働から始め、少しずつ調整していって、今はフルタイム相当で働けてもいる。睡眠時間を増やし、家で働くことで通勤にかかる体力を温存し、家事をする時間を最低限にし、社交の時間を削って成り立っていることではあるが、それでも嬉しい。
今ある体力で、やりたいことをどうすればかなえられるのか
終電さんは、日常にしあわせを感じるという。
私も同じだ。
日常があること、社会とつながり誰かの役に立つこと。
きれいごとに思えたそれらのことが、実は人生の真実だったのだと今は思う。それは、健康を失ったことで気づかされたことだ。
そして、10年の持病ライフを送るなかで、以前の自分と比べても仕方がないことも学んだ。
今ある体力で、やりたいことをどうすればかなえられるのか。その都度、暮らしや働き方を調整していく。
今は今の生活に満足しているけれど、また違うなと思ったり、新しい望みが出てきたりしたら、そのときはまた設計し直せばいいと思う。
