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「ココロとカラダにいいこと読本」について

このブログは、「こころとからだにいいこと」を軸にセルフケア、健康法、自然療法、アロマテラピーやハーブを用いた植物療法など、ウェルネスの分野について、書籍などで学んだことや私の体験をシェアするブログです。
このブログを始めようと思ったきっかけを、お伝えしたいと思います。

目次

棺桶まで歩いていきたい

『家で死のう!―緩和ケア医による「死に方」の教科書』 萬田緑平 / 著

私は、この本をきっかけに、棺桶まで歩いていきたいと思うようになりました。
簡単にいえば、人生の最後は病院ではなく、自宅で穏やかに迎えたい。人生の幕を閉じる直前まで、自分の力で食べ、自分の足で歩きたい、ということです。

たくさんのチューブにつながれながら生き続ける、つまりチューブがないと栄養摂取や呼吸ができない状態で生きること、いわゆる延命治療を私は望みません。

この本の著者、萬田先生は在宅緩和ケア医で、終末期を自宅で迎える人のサポートをされています。萬田先生は、著書の中でこう言います。

私は病院医療と在宅緩和ケアの両方を見てきた立場として、こう断言します。「終末期の患者さんは、病院での延命治療をやめて、自宅に戻ってすごしたほうが人間らしく生きられる」と。

『家で死のう! ――緩和ケア医による「死に方」の教科書』

私もその通りだと思っています。

在宅緩和ケアを選択した方は、その時が近づいたら、食べられなくなり、飲めなくなり、最後枯れるように死んでいくそうです。これが、死に方の自然な姿なのではないかと思います。

「自分で歩けている限りは、死なない」とも先生は言います。亡くなる前日まで歩いてトイレに行った人もいるそうです。

人によっては、根治の可能性が限りなく低い治療のために、チューブにつながれ続け、大量の薬を投与され、意思疎通もできないくらい体力を奪われる状態になることもあります。
それなら、治療を中断し、大事な人にお別れや感謝の言葉を伝えてから準備して逝きたい、と思うのです。

医療を拒否したいわけではありません。その治療に、根治の可能性がどれくらいあるか、見極めたいと考えているのです。

少ない可能性にかけるかどうかは、その判断にせまられたときの、年齢や体力なども含めた状況によるかもしれません。とはいえ、本人が判断できない段階になってから、家族が延命治療を望むケースが多いのが現実だそうです。

可能性に賭けたい家族の気持ちはわかります。ただ、もう充分頑張った本人が、最後、意思疎通も出来ずに苦しみながら亡くなっていく。それがお互いにとって本当に幸せだったのか、についてはしっかりと考えたいと思っています。

今から死に方を決めておき、どのような最期を迎えたいのかあらかじめ意思表示をしておく。いつ、人生の終わりが来るのかは誰にもわからないので、後悔のない生き方をしておく。最後まで自分の力で食べ、歩く。そのために自分の身体に備えられることを、今からしてあげたい。そう思うのです。

医師はコンサルタント オーナーは私

萬田先生の緩和ケアでは、検査はしないそうです。数値を追うのではなく、患者の状態を診るのだそう。
私は、これと共通する考え方をある医師から言われました。

実は、私は自己免疫疾患のSLEの患者でもあります。30代に発症し、今は症状が落ち着いています。夫の転勤でタイに引っ越す予定があったタイミングで、発症しました。

夫だけ先にタイに渡り、私は日本に残り入院生活と療養生活を経て、予定よりも約1年遅れでタイに渡りました。

タイの病院で、主治医の診察を初めて受けたときのことです。

「患者は、自分がどういう状態になりたいかを医師にオーダーするのだ」と、ドクターに言われたのです。

「血液検査の数値を基準値にもっていく治療をしたいのか、基準値と離れているものがあっても元気だったらよしとするのか、自分で治療方針を決めていくのだ」とも。
その方針次第では、薬の服用量や副作用のリスクが変わります。本人が何をどこまで許容するのかを、自ら決めよ、ということです。

思えば、日本で受けていた治療では検査の数値ばかり追いかけていて、私の体感などは、医師も私もあまり気にかけていませんでした。
もちろん、検査結果は参考になる基準だとは思います。ただ、その数値を「基準値」にもっていくこと自体が「目的」になってしまうのは何か違うなあ、と思うのです。

タイに渡る前の私は、医師から許可がおりたらタイに渡れると考えていて、その日を心待ちにしていました。体力的にも、そろそろ行けそうかな?と自分では思っていても、医師から「まだ様子見た方がいい」と言われれば、その言葉に従っていました。

ところが、タイのドクターの考え方に当てはめれば「私は、このときまでにタイに渡りたいから、それまでに私の身体のコンディションが整うように、何をするべきかアドバイスをしてください」と医師にオーダーすればよかったのです。

そもそも、「許可がおりたら」なんて、他人事みたいですよね。タイのドクターの言葉に衝撃を受けた私は、主体的な患者になろうと決めました。

もちろん、医師は医療の専門家ですし、医師の知識がないと判断が難しいこともたくさんあるでしょう。
ただし、治療の意思決定をするのは、本来、患者本人であるべきだと考えを改めました。よくわからないから、と言われるがままにしているようでは、私は私の身体のオーナーとは言い難いな、と思うのです。

医師はコンサルタント、私はオーナーなんだということをいつも意識するようにしています。

欲しいのは誰かの正解ではなく、私の選択肢

私が、心と身体にいいことを学び、情報を集めるのは選択肢を知りたいからです。「健康オタク」になりたいわけではありません。

健康にいいと言われている食べ物も、摂りすぎたらよくなかったりもします。ある人にとってはよい作用があるものが、ある人にとっては悪い作用があることもあります。

大事なのは、自分の心と身体に耳を傾けること

ときに相反する主張や理論が存在することも、頭に入れておきながら、最終的には自分の心と身体に判断をゆだねていきたい、そんな風に考えています。

これから先、自分の体質にはあまり合わないことを知ったうえでも、摂取する食材もあるでしょう。それを食べたり飲んだりしている時間が幸せなのであれば。
もちろん、摂取するものは安全性があり、生産工程が健全であることを望みますが。

今後、病気や不調があったときに、西洋医学に頼るときもあれば、自然療法を選択するときもあると思います。自分の判断軸で、自分で選択出来ること、それを大事にしていきたいと考えています。

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